オレは「常識」や「普通」という言葉が
何よりも嫌いだ。
それは今でも変わらない。
破天荒な生き方が正しいとかすべてだとか、
そんな主張をする気は更々無いし、
そもそもどうでもよい。
だがその根底には、
小さい頃から社会人に到るまで
徹底して刷り込まれた
「皆と一緒でなければならない」
という同調意識への強い反発というモノが存在する
ことは間違いない。
子供の頃、
俺らは未来に向かう希望に満ち溢れていた。
未だ見ぬ明るい将来に想いを馳せ、
他人と比較する必要も無く、
自分の可能性を疑いもなく信じる事が出来た。
なによりも夢という、心を支える原動力があった。
ところが、
いつの頃からかそんな希望が不安と焦りに変わる。
俺らには本当に未来や希望なんてあるのだろうか?
ふとそんな考えが芽生え始める。
みんなと一緒なら、なんとかなる…。
周りもそうだし、なんとなく生きていければ満足…。
そんな根拠無き弱者論理にすがりはじめる。
終わりなき他人任せ人生の始まりだ。
周りに合わせ続けてはみたものの、
大学時代に周囲を見渡せば、就活に奔走し疲れきった
生気の感じられない奴ばかり。
社会に出れば高度成長期の安定、
右肩上がりの終身雇用を未だに妄信し続ける
冴えないサラリーマン達。
そんな光景を目の当たりにしながらも、
気づかないふりをする事で自己弁護する日々。
常に他人の顔色を伺い、
何よりも「普通」にこだわり、
「常識」という楔に繋がれ続ける
代わり映えの無い怠惰な生活。
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これらはすべて、昔のオレそのものだ。
最近の社会的傾向として、
なんとなく生きている奴は非常に多い。
目標を見失って、「仕方が無い」「社会が悪い」
と愚痴る奴もいる。
だが、こういう奴らもいつか気付く。
いや、気付かざるを得ない。
このままではどうにもならないことに。
他人に救いを求めても無駄だ。
自分を救えるのは自分だけ。
この事実に気付いて欲しくて
このブログを書いている。
すべてはここから始まるのだから。