人生に正解はあるのだろうか?
以前オレは、ことあるごとに自分の過去を振り返り、
その選択の妥当性を考えていた。
「もしあの時、あっちの道を選んでいたら、
今頃全く違う自分だったんじゃ……」
今の自分に物足りなさを感じた時、
人はよくこういった妄想にふける。
昔、フジテレビで「if もしも」という
1話完結形式のドラマがあったのを思い出す。
ストーリーテラーはタモリで、
物語中に2つの選択肢が出現。
それぞれを選択した後の結末を覗いてみる
という斬新なドラマだった。
この中で描かれる運命の分かれ道は、
重大な決断から、とるに足りない選択まで。
それはない…と思う選択肢が実は正解だったり、
どちらを選んでも悲惨な運命が待っていたり…
人生というものを上手く画いていた。
「何をすればいいか、わからない」
人生の迷子になり、自分探しなんかをする人は、
よくこういった不満を口にする。
俺も職を失い、希望を見出せない時は、
まさにこんな状態が続いた。
世の中には、常に先を見越して、
不安が限りなくゼロにならない限り
身動きの取れない人間が山ほど存在する。
だがこれは、
「先が見えないから、
誰か俺の未来をハッキリ教えてくれ」
こう言っているのとなんら変わらない。
自分自身ですら想像できない将来像…
ましてそれが他人にわかりえるはずもない。
そもそも自分も含め、何をすべきか
100%明確にわかっている人などいやしない。
「絶対にコレ!」と情熱を燃やす人間も、
それはその人が信じているだけであって、
正解というわけではない。
それは「正解」ではなく「信念」。
この世の中には100%
『絶対』何て物事は存在しないのだ。
スポンサーリンク
今まで上手くいっていたから、
次も上手くいくとは限らない。
それは、有名なスポーツ選手であろうと、
大企業であろうと変わらない。
先が見えない不安は、例外なく誰もが抱えている。
未来が見えるのは、ホラ吹きの霊媒師か
詐欺に長けた占い師ぐらいのもの。
「わからなくても、やってみるしかない」
不安定で満ち満ちた現代社会では、
確証のない勝負に常に追われる。
不条理な資本主義の競争社会を生き抜くには、
戦略が必要だ。
常勝は無理でも、7勝3敗ぐらいで丁度いい。
成功の確率を意図的に高めていく
生き方や考え方がある。
今後も、そんな役立つ生きざまを
伝えていこうと思う。