「オレの親父は情弱だ」
こんなことを言うと、
現実世界では当然袋たたきに合うわけだが、
ここはネットの世界。
現実とは切り離してサラリと語らせてもらう。
俺の父は、国営事業が民営化された
某大手インフラ企業に定年まで勤め上げた。
現在は、無事退職金を貰って
悠々自適の年金暮らしだ。
同じ勤務地に三十数年マジメに通い、
酒もタバコもしなかった。
とにかく勤勉で、
そんなところは今でも深く尊敬している。
だがその一方、妙なところが非常に頑固だ。
外界からの情報源は、朝必ず目を通す新聞と
つけっぱなしのテレビのみ。
本も全く読まない為、テレビや新聞の
マスコミ情報を疑うということも無く日々妄信し、
愚痴はいうものの特に自分から情報を発信することも、
能動的に集めるようなこともない。
今の父からすれば、
外界(世の中)いうのは、
小さな家の中と、偏ったフィルターに通された
受動メディアの情報がすべてなのだ。
当然そんな偏った情報だけで物事を語るので、
まったくもって俺とは話がかみ合わないし、
そもそもまともな会話にすら発展することは無い。
情報弱者というのは、
比べる対象がいてこその存在なので、
他者から指摘されることが無い限り、
なかなか自身が情弱であることに気付きにくい。
ネットやSNSという人と繋がれるメディアに
触れない父には、それがより顕著に現れている。
今でこそ情報強者ぶっている俺ではあるが、
サラリーマン時代は、正に典型的な情弱だった。
安定した公務員や正社員こそが
勝ち組だと妄信していたし、仕事は辛くて当たり前。
我慢することが美徳だと信じていた。
ギャンブルにだって手を出したこともあったし、
金持ちを夢見て宝くじを買ったりもした。
スポンサーリンク
幸いにも勤めていた会社が潰れ、
色んな経験をする中でメンターに出逢い、
人間関係にも恵まれ、
色んな視点から物事を考えられる
人間になることが出来た。
これを情強と呼ぶかはまた別の問題であるが、
今はそんな自分にとても満足している。
あふれる情報の中から役立つ情報を取捨選択し、
それを活かしながら自分の価値観や人生を選択していく。
これだけ情報網が発達した社会では、
情報リテラシーがそのひとの一生を左右しかねない。
自分が後悔しない選択をするには、まず知ること。
情報や知識それ自体が高値で取引される昨今、
知るということの価値を再度認識して欲しい。