勝負事には必ず「勝ち負け」の結果が付いて回る。
どんなに血の滲むような努力をした人も、
負ける時は負けるものだし、努力が嫌いな素人だって
勝つことはある。
こんなことをいうと、
「そんなことは当たり前で、
運や結果よりもその過程こそが重要だ」
という人がいる。
成るほど、確かに努力は尊い。
しかし努力というのは、
すれば必ず報われるというものではない。
今をときめくヤンキースに移籍した
田中将大にしても、ACミランの本田圭佑にしても、
彼らが賞賛されるのは結果を出して勝ち続けたからだ。
決して努力をしたから一流ということではない。
彼らの成功の影には、
同じようにいやそれ以上に努力したが、
全く表舞台に出ることも無く去っていった
人たちがいるという事実を忘れてはならない。
負け癖が付いている人間は、そこを良く履き違える。
よくやった自分を褒めてやりたい、これだけ一生懸命
やったんだから勝てなくてもしょうがない。
感情的には確かに同情の余地があるかもしれない。
しかし何と言い訳しようが、結果が伴わなければ
結局それは典型的な負け犬の自己弁護に過ぎない。
日本人はよく努力が最も大切だという美徳を誇るが、
そんなのはみせかけの戯言だ。
勝たなければ誰も認めてはくれない。
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大きな賞をとった小説家や、
メダルをとったオリンピック選手に対する
マスコミの突然の過熱報道を観れば誰でも感じることだ。
小さいことのようだが、
世の中でよくいう「勝ち組」「負け組」
を分ける差など、所詮この程度の些細な違いに
気づけるかどうかだったりする。
勝たなければ何も始まらない。